10月22日(金)第10回講座 (9:50~15:00)

 

講座前に大畠ディレクターから説明。

本日・次回・次々回と3回連続のまち歩きです。

 

本日の講座は、午前は座学・午後は野外見学。    考古学者 文学博士  粟田 薫 講師

 

午前の部

発掘調査の面白さ ~新堂廃寺跡の調査~

 

まずは発見の喜び、そして謎解きが面白いとのことです。

〈謎解き〉

土の中から瓦が多量出土→かつて瓦葺きの建物→それが布目瓦→古代から中世の瓦→寺院・宮殿・役所などの建物 があった。

 

 

〈3遺跡〉

 

新堂廃寺跡    富田林駅の北方約600m

オガンジ池瓦窯  廃寺跡の北西150m

お亀石古墳    池の北西150m

 

3遺跡で共通の平瓦や珍しい構造の造瓦器具桶などを発見。

「寺跡・屋根瓦の焼成場・創建者の墓」と3点セットで近接して残っているのは、新堂廃寺跡のみ。

 

[新堂廃寺で明らかになったこと]

・飛鳥時代前期(創建期)  四天王寺式伽藍配置 (中門・塔・金堂・講堂・回廊)

・奈良時代後期       新堂廃寺式伽藍配置へ(南門・東方建物・西方建物・南門派生の築地塀)

・屋根を飾った軒丸瓦    韓国百済の都「扶余」出土のものとソックリ

・垂木先瓦         飛鳥寺出土瓦と同笵型

・奈良時代前期から後期にかけて改装や増築を繰り返し、平安時代まで存続していた。

 

[主な経緯]

1936(昭和11)年  ・元奈良国立博物館長が一枚の畑(約3000㎡)の存在に注目。

              多量の古瓦(飛鳥時代~奈良時代)と地籍図の小字名(堂ノ前・寺山など)から、

              とりあえず、当時の地名(新堂村)を冠して「新堂廃寺」と命名。

1959(昭和34)年  ・予備調査(木造平屋建て府営住宅建設計画のため)

               5種類の軒丸瓦を確認

1960(昭和35)年  ・本格的な調査

               建築学者も加わる。

               4建物が判明(塔・金堂・講堂・西方建物)

               ※調査終了後、続けて「お亀石古墳」が発掘される。方墳で、東西21.5m✕南北20.1m。

1969(昭和44)年  ・オガンジ池発掘調査

               2基の瓦窯を確認

1992(平成 4)年  ・再開調査(老朽化府営住宅建替えに伴う)

1997(平成 9)年  ・範囲確認調査(富田林市教育委員会)

               粟田先生も担当。

               東方建物・中門・南門・築地塀などを確認

2000(平成12)年  ・塔跡調査

               塔心礎を確認

2002(平成14)年  ・国史跡に指定(3遺跡合わせて)

2005(平成17)年  ・整備調査

2011(平成23)年   これまで、21次にわたる発掘調査を実施。

 

 

午後の部

古代史を歩く  新堂廃寺跡~オガンジ池瓦窯~お亀石古墳

 

野外見学は、市民会館出発(巡礼街道経由)と富田林駅出発の2グループが新堂廃寺跡の現地に集合してスタートしました。

 

 

〈新堂廃寺跡〉

 

ただただ、100m以上のフェンスに囲まれた長方形の土地です。

 (振り向けばPLの塔)

 

ドクターかおるの考古学ワールドです。

 

1400年前の飛鳥時代の寺院跡を心の眼で見ましょ!!

30㎝掘ると塔の心柱の礎石が見つかり、法隆寺の五重塔と同じ直径80㎝でした!! などなど。

 

受講生も立ち時間少し疲れ気味でしたが、がんばりました。

 

〈オガンジ池〉

 

瓦窯跡です。(釣り人1人)

 

〈お亀石古墳〉

 

小丘を登りました。

羽曳野丘陵にある創建者の墓です。

 

 

 

 

 

粟田先生、天井岩に立って説明されました。

 

石は自分の意思では動かない。笑いを誘った一言です。

小学生は古墳全体を見て、「亀」と思ったとのことです。

 

古墳を下りてきた所で解散。お疲れさまでした。 

 

 

粟田先生は、発掘現場が似合う熱い人だと思いました。

一日にわたる講座ありがとうございました。