講座前に大畠ディレクターから説明。
本日・次回・次々回と3回連続のまち歩きです。
本日の講座は、午前は座学・午後は野外見学。 考古学者 文学博士 粟田 薫 講師
発掘調査の面白さ ~新堂廃寺跡の調査~
まずは発見の喜び、そして謎解きが面白いとのことです。
〈謎解き〉
土の中から瓦が多量出土→かつて瓦葺きの建物→それが布目瓦→古代から中世の瓦→寺院・宮殿・役所などの建物 があった。
〈3遺跡〉
新堂廃寺跡 富田林駅の北方約600m
オガンジ池瓦窯 廃寺跡の北西150m
お亀石古墳 池の北西150m
3遺跡で共通の平瓦や珍しい構造の造瓦器具桶などを発見。
「寺跡・屋根瓦の焼成場・創建者の墓」と3点セットで近接して残っているのは、新堂廃寺跡のみ。
[新堂廃寺で明らかになったこと]
・飛鳥時代前期(創建期) 四天王寺式伽藍配置 (中門・塔・金堂・講堂・回廊)
・奈良時代後期 新堂廃寺式伽藍配置へ(南門・東方建物・西方建物・南門派生の築地塀)
・屋根を飾った軒丸瓦 韓国百済の都「扶余」出土のものとソックリ
・垂木先瓦 飛鳥寺出土瓦と同笵型
・奈良時代前期から後期にかけて改装や増築を繰り返し、平安時代まで存続していた。
[主な経緯]
1936(昭和11)年 ・元奈良国立博物館長が一枚の畑(約3000㎡)の存在に注目。
多量の古瓦(飛鳥時代~奈良時代)と地籍図の小字名(堂ノ前・寺山など)から、
とりあえず、当時の地名(新堂村)を冠して「新堂廃寺」と命名。
1959(昭和34)年 ・予備調査(木造平屋建て府営住宅建設計画のため)
5種類の軒丸瓦を確認
1960(昭和35)年 ・本格的な調査
建築学者も加わる。
4建物が判明(塔・金堂・講堂・西方建物)
※調査終了後、続けて「お亀石古墳」が発掘される。方墳で、東西21.5m✕南北20.1m。
1969(昭和44)年 ・オガンジ池発掘調査
2基の瓦窯を確認
1992(平成 4)年 ・再開調査(老朽化府営住宅建替えに伴う)
1997(平成 9)年 ・範囲確認調査(富田林市教育委員会)
粟田先生も担当。
東方建物・中門・南門・築地塀などを確認
2000(平成12)年 ・塔跡調査
塔心礎を確認
2002(平成14)年 ・国史跡に指定(3遺跡合わせて)
2005(平成17)年 ・整備調査
2011(平成23)年 これまで、21次にわたる発掘調査を実施。
古代史を歩く 新堂廃寺跡~オガンジ池瓦窯~お亀石古墳
野外見学は、市民会館出発(巡礼街道経由)と富田林駅出発の2グループが新堂廃寺跡の現地に集合してスタートしました。
〈新堂廃寺跡〉
ただただ、100m以上のフェンスに囲まれた長方形の土地です。
(振り向けばPLの塔)
ドクターかおるの考古学ワールドです。
1400年前の飛鳥時代の寺院跡を心の眼で見ましょ!!
30㎝掘ると塔の心柱の礎石が見つかり、法隆寺の五重塔と同じ直径80㎝でした!! などなど。
受講生も立ち時間少し疲れ気味でしたが、がんばりました。
〈オガンジ池〉
瓦窯跡です。(釣り人1人)
〈お亀石古墳〉
小丘を登りました。
羽曳野丘陵にある創建者の墓です。
粟田先生、天井岩に立って説明されました。
石は自分の意思では動かない。笑いを誘った一言です。
小学生は古墳全体を見て、「亀」と思ったとのことです。
古墳を下りてきた所で解散。お疲れさまでした。
粟田先生は、発掘現場が似合う熱い人だと思いました。
一日にわたる講座ありがとうございました。
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